お金がなくても生きていけるフィリピン

こんにちは。

なんだかんだで100記事達成した管理人のアンジーです。

今の時代、自分や家族を支えるので必死な時代ですよね。
昭和の時代にはもっと近所さんとの繋がりも強く、料理を多く作ったら近所に分けるなんて平和な時代でした。

アンジーの近所のおばあちゃんも10年前くらいまでは毎週おいしい料理を作ってきてくれていたのですが今では全く音沙汰なくなってしまいました。

話は変わってフィリピン。フィリピンではまだ日本の昭和時代の頃のような文化が残っています。

今回の記事はそんな日本にも復活してほしいなと思うフィリピンの助け合いの心について紹介していきます。

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助け合いのフィリピン

アンジーがお世話になっている日本人曰くフィリピンはどことなく日本の昭和の頃の雰囲気があるとのこと。

平成生まれのアンジーも何となくこの意味が分かる。

近所の繋がりがあるというか、親しいと思う。例えば料理を多く作りすぎたときには近所の家族に配ったりする。フィリピン人は料理を多く作る人が多いため分け合う文化が広まっているのだろうか。

この風習は日本でもあった。もちろん今でもそういった地域はたくさんあるだろう。しかしアンジーの周りではもうすっかり無くなってしまった。
昔は近所のおばあちゃんが作る煮物を毎週楽しみにしていたものだ。隣の河合さんはよくスイカの差し入れを持ってきてくれていた。代わりにうちはアサリやシジミをよく持って行った。
そんなお隣さんとも今では顔を合わせたときに挨拶するくらいだ。

悲しくなったものだ。

しかしフィリピンでは近所では助け合うという日本の昭和時代のような考え方が今でも存在している。

そのためお金がなくても近所の人のおかげで生きていけているフィリピン人も多くいる。今の日本ならば働かざる者食うべからずなんて言われるのだが、フィリピン人はそういった人を中々放っておくことができないのだ。

アンジーは日本で育ってきたがフィリピンのこの助け合い精神を見てフィリピンが好きになったのも事実。日本では自分自身で精一杯な人が多い。そのため淡白な人が増えているのは事実だろう。

こういった助け合いの精神がフィリピン人の幸福度が日本人よりも高い理由の一つなのかもしれない。

日本の公園を見てみてもそうだろう。アンジーが小学生の頃は公園に大勢の子供が遊んでいた。しかし今公園を見てみると公園で遊んでいる子供の姿は確実に少なくなている。
今は公園で遊ぶよりも家でオンラインゲームで遊ぶ時代なのだろう。

時代は変わる。

昔は常識だったことも今では非常識になっていることがたくさんある。

フィリピンもいつの日か今の日本のような生活になってしまうのかと思うと悲しくなってくる。
どうかこの良い面のフィリピンらしさというものをいつまでも持ち続けてもらいたいと思うこの日本人の名はアンジー。。

 

ではまた次の記事で。バ~イ。

 

フィリピンについて聞きたいことがあればメールください!!

mail:manila_angela@yahoo.co.jp

FB:フィリワールド Angie

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